「新世界ノート」と「流星前夜」

 今年、15周年を迎えるUNISON SQUARE GARDEN。本日7月3日、カップリング全31曲を集めたベストアルバム『Bee side Sea side~B-side Collection Album~』がリリースされた。

 

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 それと同時に、インディーズ時代にリリースされ、今は廃盤となっていたミニアルバム、『新世界ノート』『流星前夜』も再発となった。今回は、その2つのミニアルバムに関する考察をあげていきたい。

 

  まず、2つのミニアルバムの収録曲について。楽曲はどちらも6曲収録されている。

 

M01.『アナザーワールド』⇔『流星前夜』

M02.『センチメンタルピリオド』⇔『フルカラープログラム』

M03.『さよなら第九惑星』⇔『水と雨について』

M04.『サーチライト』⇔『 2月、白昼の流れ星と飛行機雲』

M05.『ライトフライト』⇔『MR.アンディ』

M06.『箱庭ロック・ショー』⇔『流星行路』

 

 タイトルだけ見ると一見対応していないように見える両アルバムだが、内容を詳しく見ていくと、それぞれが対応していることがわかる。以下、一曲ずつ詳しく見ていきたい。

 

 

 

アナザーワールド

 

 曲名が『新世界ノート』というアルバムタイトルを踏まえているのはすぐわかると思う。内容的には、もともといた世界を離れ、新世界にたどり着いた様子を歌ったものだろう。実はこの歌の歌詞をよく見ると、随所にアルバム収録曲の要素が編み込まれている。

 

「手を繋いだ僕ら」→「この手は離さないでいよう」(センチメンタルピリオド

「ため息は遠く鳴った」→「ほんの小さな吐息で水平線が壊れるなら」(さよなら第九惑星)

「到来の鐘が鳴った」→「とぼけてる天才の鐘の音が鼓膜揺らして」(サーチライト)

「共鳴の花が咲いた」→「ありもしない昔話に花を咲かせては」(ライトフライト)

「吐き出すその場所」→「溢れ出す風景」(箱庭ロック・ショー)

 

 これらのことから、これは『アナザーワールド』という曲として成り立ちつつも、『新世界ノート』というアルバムを一曲で解説しているという風にも解釈できる。また、『アナザーワールド』以外の曲では、「新世界」に至るまでの物語が描かれているのではないかと思う。

 

 また、このミニアルバムに収録されている曲すべてに

 

「なんて新世界だ」(アナザーワールド

「高性能のヘッドフォンなんで世界の音も聞こえません」(センチメンタルピリオド

「嫌いだ、こんな世界は」、「残った『その世界』だけを刻み込んだ」(さよなら第九惑星)

「君は固まった世界をメロディーに変えた」(サーチライト)

世界地図に適当な点を打って複雑なメロディーに変える譜点の海」(ライトフライト)

「君が真ん中な世界」「新世界が描けるのなら」(箱庭ロック・ショー)

 

のように「世界」という単語が用いられていることも、覚えておいてもらいたい。

 

 

 

『流星前夜』

 

 ギターボーカルである斎藤の語りが曲の中にがっつりと組み込まれているものは、バンドのすべての曲の中でおそらくこの曲しかない。どこか淋しくて、不思議な雰囲気を漂わせるこの曲。初めて聴いたとき、ユニゾンっぽくないなあと感じたのは私だけではないと思う。しかし、歌詞を見てみるとやはりユニゾン(もとい田淵)だなあと思った。以下、歌詞を載せる(歌詞カードに歌詞の記載がなく、あくまで筆者の耳コピなのであしからず)。

 

 

 

世界の音が一瞬消え去った静かな夜に

まだ年端もない頃の僕ら虹色のパレットを持って飛び出した

 

昨日の海岸を涙の色にしたのは飛行機雲だっただろうか

そこに辿り着いた時 ローズマリーが大切な嘘をついた

 

誰もいないような星空の下

大きく手を振る

 

どうやら僕はこの瞬間において

そのパレットで新しい世界が描けるらしい

 

でたらめにしか聞こえないと呟きながら一人空を見ていた

でもそれが聞こえたのは確かであって僕はそれを信じたいと強く願った

 

そのまま一人空を見ていた

ただ、一人空を見ていた

 

 

 

 こちらは、おそらく「新世界」に出会う前の時間軸なのだろう。「虹色のパレット」を持った「僕」は、「世界の音が一瞬消え去った静かな夜」に、「新しい世界が描けるらしい」と語っている。この曲も、先ほどの『アナザーワールド』と同様に、収録曲と照らし合わせてみよう。

 

「虹色のパレットを持って飛び出した」→「虹を作ってみよう」「高く、高く飛んだ夕暮れ」(フルカラープログラム)

「僕はそれを信じたいと強く願った」→「1万年前から置き去りにした願い」(フルカラープログラム)

「昨日の海岸を涙の色にしたのは」→「海岸沿いは今日も歴史的な大雨です」(水と雨について)

「飛行機雲だっただろうか」→「あなたの涙を空まで飛ばして、私は飛行機雲」(2月、白昼の流れ星と飛行機雲)

ローズマリーが大切な嘘をついた」→「カリソメローズマリー嘘をついて、消えた」(MR.アンディ)

「飛び出した」→「流星のまま飛び立って」(流星行路)

 

 このように、『流星前夜』も『アナザーワールド』と同じ構造になっていると言える。また、

 

世界の音が一瞬消え去った静かな夜に」(流星前夜)

「ちょっとだけ世界と仲良くなったあなたは」(フルカラープログラム)

「そうやって世界の常識がひっくり返るのを待っている」(水と雨について)

「それはなんて素敵な銀世界でしょう」(2月、白昼の流れ星と飛行機雲)

「今の世界を少しだけ楽しくできるよ、存外に」(MR.アンディ)

「全ての音色をこの世界に残す」、「そしてまたその世界が無限に広がってく」(流星行路)

 

 上記のように、『流星前夜』の収録曲にも、歌詞中に「世界」という語が用いられている。この2つのミニアルバム、やはり何か関係がありそうである。

 

 

 

センチメンタルピリオド』と『フルカラープログラム』


 この曲にも共通する点がある。それは、虹に関する表現だ。『センチメンタルピリオド』では、「形あるものだけを空に映したレインボウ、未完成 未来永劫を照らしてるかのようなレインボウ、未完成」とあり、『フルカラープログラム』では、「どうせなら、この際なら虹を作ってみよう」と歌っている。UNISON SQUARE GARDENの楽曲で多くモチーフとして登場する虹。今回の2つのミニアルバムでも、「七色強に溶けて混ざっては」(サーチライト)「星屑の声いつか七色に消え去った」(流星行路)などは、直接「虹」と言わずとも虹のことを歌っているのだとわかる。今回の2曲(センチメンタル、フルカラー)を踏まえて書かれたと思われる『プログラムcontinued』でも「続けフルカラー」と歌われていることから、バンドの理念というか、理想が「虹」なのかな、と私は考えている(これについては改めてきちんと別の記事にまとめたい)。

 ちなみに、『フルカラープログラム』で「言えなかったバイバイ」とあるのに対し『センチメンタルピリオド』では「それも別に悪くねぇよ、バイバイ」と言い切っている。

この2曲は「虹」や「バンド全体のテーマ」について歌ったものだと考える。

 

 

 

『さよなら第九惑星』と『水と雨について』

 

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 この2曲に関してはけっこう共通点が多い。まず、この2曲の主人公「僕」は、どちらも世界に対してネガティブな意識を持っている。それは、先に挙げた「嫌いだ、こんな世界は」、「そうやって世界の常識がひっくり返るのを待っている」などの歌詞からもわかるだろう。また、どちらの曲にも会話相手として「君」が出てくる。「吐息」と、「ため息」という表現も似ている。歌の終わり終盤には、「惑星に気を取られて今日がまた終わる」「揺らいでいく水槽に、落ちる」この最後の表現も、それぞれ「惑星」と「水」に振り回されるような「僕」の様子がうかがえる。また、『さよなら第九惑星』で「消えちゃいそうな声」とあった君が、『水と雨について』では「幻だって気付いた」とされている。この2曲の「僕」と「君」がそれぞれ同一人物だとしたら、「狂いだした、いつからだ?」という歌詞は、幻を見ていた自分に対する言葉ととることができる。

 

 

 

 『サーチライト』と、『2月、白昼の流れ星と飛行機雲』

 

 この2曲から、それぞれのアルバムの雰囲気がガラッと変わる。前曲はどちらも少し刺々しい物言いだったのが、この曲はどちらもやわらかい物腰になっている。それに伴い、曲自体もバラード調になっている。ここで注目したいのが、『サーチライト』は男性目線の歌詞、『2月』は女性目線の歌詞になっているという点である。『サーチライト』の「何処へ行ったの?また会えるかな」に対し、『2月』では「忘れちゃいけないことはここにあった」と歌われている。また、「カリフォルニアにさえも初夏の風が吹く」と「春が来れば溶けて、新しい風が」は対応する部分である(時間の経過を表すと解釈することもできる)。さらに、「ごめんねきっと君には届かないだろう」と「ねぇまた言葉が途切れて夢になっても」も、言葉が伝えられないことを表現しているという点で対応する。これらのことから、歌に登場する「僕」=「あなた」、「君」=「私」と言うことができるのではないかと考えた。

 

 

 

『ライトフライト』と『MR.アンディ』

   

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 どちらの歌もカタカナ語が歌詞の節々に用いられているのが印象的である。歌詞の表現で共通するのは、「余計なイミテーションの抗生物質で今日も朝焼けを恐がって眠る午前の4時」と「僕らは悩んでないのに朝が来て」という部分、「ありもしない昔話に花を咲かせては過去を無くしてひとりぼっち」と「カリソメローズマリー嘘をついて消えた」という部分である。しかし、内容的にはあまり被っているとは言いがたい。むしろ、『MR.アンディ』がポジティブな曲調や歌詞であるのに対し、『ライトフライト』は「ひとりっぼっち」という語が頻出することからも少しネガティブな印象を受ける。

 ちなみに、『ライトフライト』の「そして耳を塞ぐことをちょっとだけやめて」は『センチメンタルピリオド』の「高性能のヘッドフォンなんで世界の音も聞こえません」という歌詞から繋がっているものだと考えられる。

 

 

 

『箱庭ロック・ショー』と『流星行路』

 

 『箱庭ロック・ショー』の「流星になった子供達」は間違いなく『流星行路』の「流星のまま飛び立って宇宙のスピードに追いついた」子供達を指す言葉だろう。また、「小さな箱庭だってほら、無限を解き放って」と「そしてまたその世界が無限に広がってく」という表現は共通している。また、「ふがいないモノクロームコントラスト僕の絵の具じゃちょっと足りないからさ向こうへ」と「星屑の声いつか七色に消え去った」は虹に関する表現である。「全てのストーリーを流線型にしたい」「全ての音色をこの世界に残す」つまり、新世界に行くことを望みながらも過去は忘れないように、ということを歌っているのではないだろうか。

 ちなみに、「乾いた部屋と超新星の波間でかくれんぼの言い訳」は『プログラムcontinued』の「超新星アクシデントみたいなこと」に繋がっていると考察できる。また、「止まないマイクロフォン」という歌詞は『マイクロフォン』という曲を踏まえてのものだろう(こちらの音源は公開されていない)。

 

 

 

そして『アナザーワールド』へ

 

 ここまでそれぞれミニアルバムの曲が、曲順に対応しているという話をしてきた。最後に、もう一度『 アナザーワールド』の話をしたいと思う。『アナザーワールド』は『新世界ノート』を解説する曲になっている、と先述したのだが、実は『流星前夜』の曲の要素も含んでいる。

 

『フルカラープログラム』の要素

「悲しみを一つ」→「いつか終わる、悲しみは」

「高く昇って行った」→「誰よりも高く、高く飛んだ」

「さよなら、もう行くよ 優しい想いを全部」→「言えなかったバイバイを 優しさで、そっと包んで」

 

『水と雨について』の要素

「浮かぶこんな気持ちは、幻」→「君が幻だって気付いたけど」

「ため息は遠く鳴った」→「明日晴れるのはため息のせいなんかじゃなくて」

「ずっと止むことのない 感情の雨」→「海岸沿いは今日も歴史的な大雨です」

 

『2月、白昼の流れ星の飛行機雲』の要素

「時を止めた旅人」→「少し季節に足踏みさせて」

「高く昇って行った」→「あなたの涙を空まで飛ばして」

「忘れられた答えを全部」→「忘れちゃいけないことはここにあった」

 

『MR.アンディ』の要素

「手をつないだ僕ら」→「手をつないでみよう」

「喜びを一つ」→「ヨロコビに似た天気です」

「沈むこんな三日月」→「月が出るみたいです 君にはまだ見えないけど」

「手が届く全部持って行かしてよ」→「触れ合うとこだけもらっていこう」

 

『流星行路』の要素

「時を止めた旅人」→「坂道の子供達 時間を忘れちゃって」

「いつか 捉えた君の手は どうしようもない程 茜を指した」→「オレンジの風いつか虚空を伝わった」

 

 このように、『アナザーワールド』もまた、『流星前夜』の楽曲の要素を含んでいる。ここで、それぞれのアルバムのリリース日を確認してみよう。『新世界ノート』は2006年8月1日にリリース後、2008年1月16日に再発。『流星前夜』は2008年1月16日にリリースされている。このことから考えると、『流星前夜』というアルバムは、『新世界ノート』を踏まえたものだと考えられる。しかし、歌詞の内容や時間軸を確認すると、『流星前夜』が『新世界ノート』の前日譚であるような印象を受ける。実際、『流星前夜』では、『アナザーワールド』で表現される「新世界」に行く前の「世界」が表現されているように思える。


『流星前夜』の「世界

                   ↓

『新世界ノート』の「世界」

                   ↓

アナザーワールド』の「新世界」


ㅤ図解するとこんな感じだ。リリースされたのは『流星前夜』の方が後だが、実際歌が作られたのはもしかしたら『流星前夜』の方が先だったのかもしれない。もしくは、『新世界ノート』の前日譚とするためにその歌の要素を随所に組み込んだのかもしれない。しかし、それは本人たちにしかわからないことなので、ここでの明言は避けたい。

 

 

 

まとめ

 

 ここまで長々と述べてきたが、一番驚くのはこれらの楽曲がすべてメジャーデビュー前の楽曲であるということである。このアルバム自体、インディーズ時代に発売されたものだ。インディーズでここまでアルバム全体の構成やアルバムの中の物語性、ほかのアルバムとのつながりを意識しまくっているアーティストって、ほかにいるんだろうか。いや、いない。反語である。

 今回色々考察してきたが、これらも100%合っているわけなんてないし、思いっきり見当違いなことを言っているのかもしれない。でも、答えが明示されていない少しわかりづらい歌詞だからこそ、こうやって様々な想像を膨らますことができるのだと私は思う。皆さんも、自分だけの「新世界」を想像してみてはいかがだろうか。

 もし、『新世界ノート』も『流星前夜』もまだ手に入れていないという人がいるのなら、ぜひこれを機に入手していただきたく思う。きっと、新たな世界が見つかるだろう。